精神看護学のすすめ

An Invitation to Psychiatric Nursing

二十歳の集いに参加して思うこと

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(2026年1月11日の日曜日)

本日、縁があって二十歳の集いに参加しました。

講師とMCが知り合いだったこともあり、少し距離の近い立場で、一人の大人としてその場の空気を感じる時間となりました。

会場に集まる二十歳の若者たちを見ながら、私(40歳)の二分の一の年齢なのか...などと呑気に考えていたのですが、ふと大学教員として、そして精神看護を専門とする者として、あることに思い至りました。

彼らは、大学で言えば二年生であり、私が日常的に関わっている学生たちと、まさに同じ世代なわけです(もしかしたら会場に数名いたかもしれませんね)。

ここから先に綴ることは、あくまで私自身が日頃の関わりや今日の場から感じ取った、一つの個人的な実感にすぎません。

当然ながら、すべての二十歳の人たちに、そのまま当てはまる話ではないことを、最初に添えておきたいと思います。

この世代は、中学生という、心が大きく揺れ動き、他者との関係の中で自分を形づくっていく大切な時期を、コロナ禍の制限の中で過ごしました。

分散登校、人と距離を保つ生活、突然失われた行事や節目。

本来であれば、ぶつかり合い、失敗し、やり直す経験を通して育まれていくはずの時間が、静かに削ぎ落とされていった世代でもあります。

精神看護の視点で見ると、こうした経験は「何も起こらなかった時間」ではありません。

人との関係が制限される中で、不安を言葉にする機会を失ったり、感情を外に出す場が少なくなったりした人もいたのではないかと想像します。

ただ、それらは表に見えにくく、本人たちでさえ影響として意識していない場合も少なくないように感じます。

大学で学生たちと関わっていると、人との距離を慎重に測る様子や、自分の気持ちを後回しにして場に合わせようとする姿に出会うことがあります。

それも一律に評価できるものではなく、こころを守るために身につけてきた適応の一つとして理解することができるのではないでしょうか。

もちろん、この世代を一つの特徴で括ることはできません。同じ時代を生きていても、環境や支え、人との出会いによって、感じ方や育まれた力は大きく異なります。その前提に立った上で、それでもなお、制限の多い時間を経験してきた世代ならではの感受性や回復力を感じる場面がある、というのが私の率直な印象です。

二十歳の集いは、人生の通過点を祝う場ですが、精神的な成熟や安心が、一斉に揃う瞬間ではありません。むしろ、迷いながら、自分なりのペースでこころを整えていく途中に立っている人たちが集う場なのだと思います。

だからこそ、支援する側にいる私たち大人は、「もう大人なのだから」と一つの型にはめるのではなく、一人ひとりの背景や歩んできた時間に目を向け続ける姿勢を忘れずにいたいと感じました。

今日の二十歳の集いは、若者たちを祝う場であると同時に、目の前の学生一人ひとりの語られてこなかった時間や、言葉にならないこころの動きに、改めて思いを向ける機会となりました。

精神看護に携わる者として、そして教育に関わる者として、一般化しすぎることなく、しかし想像力は手放さずに、これからも学生たちと向き合っていきたい。そんなことを静かに考えさせられる一日でした。

 

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